「感じる」を取り戻すにつれ、ラクになってきています。
しかし、自分の感情に気づくことは
私にとっては諸刃の剣。
メリットだけでなくデメリットもありました。
今までのやり方を手放す不安と向き合わざるを得ないからです。
私が長らく思考偏重でやってきたのは、
「正しい社会人」になりたかったから。
そのほうが批判されないという免罪符でもあり、
思考でやっていくほうが仕事でも便利。
ついでに、
私には「はーい、これは白で、それは黒ね。分別任せて。白、黒、白、黒。
ヒヨコのオスメスも識別してやろうか」みたいな所がある。
自分が元々持っているこの要素と結びついていたのもあって、
これこそが私の生きる道!とばかりに執着して来ました。
防御と(わずかな)成功パターンがまぜこぜになって、変えたくても変えづらい。
でも、限界にきちゃったわ…
…と気づいたのがデメリットその①。
方向転換よろしく「感じる」方向にチャレンジしたわけですが、
これは正直、怖かった。
今までの努力がムダになってしまいそうで。
意外と、このへんは今のところ問題ないんですよ。
人生がラクになってきたことで「あっ、これはモトが取れるわ」と思えましたから。
確実に、いい塩梅で幸せな方向に来ている。
ですが、ここで自分でもびっくりする想いが出てきました。
(デメリットその②)
「あ~。幸せになったら母に嫉妬されるなぁ」
と。
ショックでした。
私は、母に嫉妬されないように、自分を不幸に仕向けてきていました。
それに気づいてしまった。
自分でもドン引き。すごくショック。
でも何より、悲しいのです。
それはひとえに「愛されたかったから」なのだけれど、
そのためなら、自分すら歪めてしまえる。
少し長くなりそうなので、次回に書きたいと思います。