2015年7月30日木曜日

高校野球の応援と強制チアガール


高校野球がムカつくんだわ。極めて個人的に、イヤな記憶を喚起するからなんだわ。
誤解を招く可能性が大きいのを承知で書くが、
最初に断っておくと、「応援を強制された立場」としてムカつくのであり、みんなが頑張っている姿に励まされたりとか感動して涙することは大いにある。
野球や球児にムカつくのではない。
その裏側にある「応援するんでしょ、だから全部よろこんで負担するよね」みたいな半強制の全体主義的なものに対して腹が立っていた、その記憶について書く。

昔むかし、私が高校生の頃の話。
今はどうだかわからないけど、当時はあらゆる部活の中で野球部がなぜか優遇されていて、でも私の母校はスポーツ弱小の公立校で、特に応援部があるわけでもなかった。
そもそもは間に合わせ的な発想だったのだろうと思うが、私の部活(文化系)の女子がいつしか不文律めいた「伝統」から、全て手弁当でチアガールをすることになっていた。
野球部OB等からの寄付があるわけでもないので、衣装やらアンダースコート(フリフリの見せパンツね)やら試合応援の交通費とか、全部自腹。
(私自身はこういう学校生活でのボランティア的な活動をすることも家で全否定されていて、費用を全部自分のバイト代から出していたのもイヤだった)
各メンバーの応援歌に合わせた踊りの振り付けやその練習までこちら負担。
おまけに、補欠メンバー分まで含めた四つ葉のクローバーを、試合当日の早朝に、高校の敷地内で人数分摘んでお守りを作成するという念の入れよう。

フツーにきいたらさ、おや青春だねぇ、みたいな「ちょっといい話」かもしれんよ。
でも、大人気ないし恥を承知で言うけど、あれから⚪︎十年経つにもかかわらず女子高生当時の自分と激おこポイントが一緒なのよ。
つまり、身銭を切ってまでこういう「思いやり」めいたものを組織的に強制すんな、っていう点で。

どうぞ、くれぐれも皆さま、自分個人を全体とか集団に紛れ込ませて溜飲下げてくれるなよ。周りに合わせて「わかったフリ」を続けていても、一生自分に嘘をつき続けることができなかったとしたら私みたいに年とってからグレる羽目になっちゃう。
これはほんとに、よろしくない。損なハナシです。
見た目は従うにしても、面従腹背でかまわない。でもホントはイヤなのよね・・・って
自分の本音を自分だけでもわかってあげていれば、きっと大丈夫。そんなに引きずらずにいられると思う。

もっとも、嘘がつけなくなったところで今後いちいち怒る必要もないし、むしろ心はラクになれると思うけど
そもそもなんで周りに合わせてきたのか、わかったフリをしてきたのか、って部分は
自分で認めてあげたほうがいいかもしれない。
誰からも理解が得られなかったからかもしれないし、愛されたかったからかもしれないし、否定されるのが目に見えていたからかもしれない。
でも、共感されないからといって、それが間違いなわけじゃない。
「なんかおかしいな、納得いかないな」という思いにだって、自分なりの根拠があるんだもの。

色々ずれたけど、今くらいの自分軸が当時あったら、ぜったいチアガールなんか断ってたなぁ、って話(笑)

2015年7月28日火曜日

トラブルシューティング人生

Amazonのメールが来ない。届くべきメールが来ない。
Amazonちゃんは送信してくれているのに、どういうわけか受信ができない。
特に何かの設定をいじったわけでもないし、自分で諸設定を確認しても問題ないし
Amazonちゃんにも通信会社にも直接それぞれ2、3回問い合わせしたし。
おまけにその場で再送信もしてもらったのにメール来ない。
不思議な事もあるもんだなぁ。
結局、あれこれやってもやっぱりメール来ないから放っておくことにしたけれど。

うっかり、こんなしょぼいトラブルシューティングに燃えてしまった。躍起になってどうにか解決しようとした。
そして、そんな自分に気づいて愕然とした。
「トラブルシューティング」。私の生き方そのものではないか。
問題は自分で全部解決しなきゃ。不都合があってもリカバリできる自分にならなきゃ。
いや、それ以前に不都合が生じないように対策を講じておこう・・・といった具合に。

なんだか悲しくなった。
大事なことではあるけれど、人生においてこんな事ばかりしていたら不毛だよ?
「喜び」に生きるどころじゃあない。だって、注目してエネルギーを注いでいるのが「問題」ばかりなんだもの。
そして、無意識に「問題がある」前提で生きているから、現実に起こるのもまた「残念な引き寄せ」だったりして。

うわぁ、バカバカしいわやってらんないわ、だからこんなパターンやめてやるわ。私は自分を救うんだから・・・と思うものの、
心のどこかで引き戻されてしまう。
私のエゴちゃんが言う。
『そんな簡単に手放せるワケないでしょ。大体、誰のせいでそんなパターンを身につけたと思うの?誰も守ってくれなかったからでしょ?
あいつらは善人ヅラして今日も安穏と生きてるよ?悔しくないの?ここでやめたら今までの努力がムダになるんだよ?だからやめちゃダメなのよ!』

それはそうだ。エゴちゃんの言うことにも一理ある。過去の自分はたしかに可哀想だった。
でもなぁ。もう、「可哀想な私」を引きずって生きていたくないんだよ。今とこれからにフォーカスして、人生をつくっていきたいんだ。
可哀想だった過去の私ときみのことを「なかったこと」にするわけではないから、エゴちゃんよ、大目にみてくれないか。  


2015年7月24日金曜日

辛い時でも自分で自分を救う覚悟


実家に行ってきました。ほわぁ~ふ(深いタメイキ)
いやマジで私にとっちゃあ避けるべき鬼門なんで。
実際にわりと距離おいてるから
ハタからさんざん親不孝よばわりされとるんだけども
何がしんどいかって、今でこそ生命は取られないものの魂を取られる、みたいな感じなんだよね。

元々は過去にも色々あるんだけど、詳しくは言いたくないから、書かない。

「じゃあ絶縁すればいいじゃん」とかすぱーんと言われちゃったら、それはそうだね。うーん。返事に困ってしまうなぁ。

そこはまぁ、ちと脇に置かせてもらって
精神的に…であれば「自分で自分をけっこう救えるかも」という話。

背水の陣でも四面楚歌でも。
どうあがいても味方がいない状況であったとしても。

「自分を守る・助ける」意識を持つこと。
それだけでも、ラクになれると思う、本当に。

これは私がいまお世話になっているみちよさんの講座でも、折に触れて言われている事でもある。

みちよ師、曰く。
『自分で自分を助けてあげる』
『自分とパートナーシップを組む』
『自分を徹底的に助けてあげる』

いいでしょ(*^_^*)いい言葉だよね。

うんうん、やるよー!と思いながらも、これらを自分の現実には決して上手には適用できていなかった私。

「できていない」というよりも、この身をもっての体感がなかった。
やってる「つもり」ではラクにもなれず
しかし、体感なしには納得ができない。

意識としては、いつでも自分を助けるよー!なんて思っていたつもりだったけれど
いざ過剰な煩わしさや理不尽の嵐に直面すると、自分のクセ(=繰り返しているパターン)が出てしまう。

こういう時に私は、感情をすっかり麻痺させて
人間の振りをしたロボットのように
粛々と済ませるほうが正直ラクだったりする。

しかし、感情のシャットダウンとは自分の魂を殺すこと。

そうして物理的には周囲の役に立てるかもしれないけれど、
それは自分とそのエネルギーを明け渡して「犠牲者」になるのとほとんど表裏一体の、危険性も包含する。
なにより「自分を助ける」事からはかけ離れてしまう。

エネルギーを取りっぱぐれてしまったら、どうなるか。
大抵は他人から奪おうとしてしまう。

エネルギーの奪取がもしも、あからさまにアホなやり方なら自然淘汰される部分もあるけど、
相手が社会的に権威者とか、「悪気はない」一点張りとか、無意識あるいは狡猾で巧妙だと、非常に苦しい。喧嘩すらしづらい。

どうしたもんかね。
まぁ、いきなり全てにNOをつきつけるのも上手くないから、やるこたぁやってやるよ、と。

それでも、「あぁ、イヤだわクソムカツクわ。でも、これが済んだら私は○○してやるんだ」って考えるだけで、本当に本当に、救われる。

○○の中身はなんでもいい。
ほんとに、「インスタントコーヒーで一息入れるわ」だけでいい。
自分をホッとさせよう、なにか一瞬だけでも楽しもうと思えるだけで、全く同じ日常が救われる、ラクになる。

問題は、そもそもそんなふうに考えられなくなっちゃってる、ってことだよね。

ここんとこは、けっこう根深いかも。
長くなりそうだから、またあらためて。

2015年7月15日水曜日

強さ、いろいろ


出たよぉ~。Gがついに。
履いてたスリッパを咄嗟に脱いで退治したよ~!
(お食事中のかた、申し訳ありませんm(__)m)

まぁびっくりしましたけど、一瞬のアクションがコレだからね。初動でまごつかなくなったなぁ、私も強くなったなぁと思って自分で感慨深いです。

ふと、「強さ」って何だろうと思って。

きっかけは、敵に対して叫びもせずためらいもせず
躊躇なくスリッパを武器にできる女(私のこと)ってどうなんだろうねwって思いなんだけど。

瞬殺だもん。強いっちゃ強いよね。
(以前はできなかった)

ある意味ちゃんと自分で自分を助けることができたにもかかわらず、
妙にモヤモヤしたのは、「スリッパ攻撃」を己にこれまで禁止していたせい。
女子として禁断の扉開けちゃった?みたいな。

大げさに言えば、
受け身で愛されたい女子としての自分像と、強さの葛藤。

自分にとっての大問題は、こういう「強さ」を全力で否定してきた、ということだ。

今までは、こうした自分像は「ダメね~女らしくないからね」って封印してきたと思う。
(実際問題、私のいた環境では「強さ=男の専売特許かつ既得権益」という圧力は強かった)

でも、強さとかパワフルであることって
人それぞれに、色んなあり方があったはず。

そこに気づけずに、
硬直的で一義的な「強さ」の捉え方から抜けられなかった点が、私の哀しい所だ。

私自身は、
別にマッチョで鍛えて頑丈な肉体の強さもないし
酷い扱いを全部跳ね返せるガードの強さもないし
ユーモアで全部やんわり受け流せるしなやかな強さもないし
かといって自分で全部ねじ伏せる能力の強さもない。

おまけに言えば、母性本能なんていう強さもない。

全部ない。
だから私は弱すぎる無力な存在なんだな、と思ってた。

でも、なんかおかしい、やっぱりおかしい。

「お前は弱い。なぜなら○○がないから(or 出来ないから)」等と指摘され、言われてきた事の多くは
私たちの問題ではなく、それを言ってくる相手自身の問題だったのではないか、と今は強く思う。

矛盾も過ぎると逆にひっくり返しやすいかも…?
なんて、一縷の望みをつないでいたいと思ってる。

2015年7月14日火曜日

香水臭いコンビニに煩悶の夜


近所にコンビニがあってね。便利なんです。
私、うっかり買い忘れたものを調達しに、夜10時過ぎにコンビニに行くんですよ、切手とか食パンとか消しゴムとか。こまごましたものを。

でも大概、臭いんだ。
コンビニ入った途端、すんごい香水臭いんだよね。
曲がりなりにも食品を扱うお店レベルじゃあないって言わせてもらう。

元凶はオーナーさんなんだよね。
香水を己れに振り撒きすぎて、店内全体に充満しとるわけよ。

意外と飲食店オーナーさんにこういう人いる。

気持ちはわからなくもないよ。なんか、加齢臭を気にしてるみたい。
そんで、なんかの代償行為みたいにスタッフを若くて綺麗な女の子ばかりで固めてる。

いつも優しくて可愛くて親切な女子店員さんたちがトゲトゲしてるのは、私の気のせいだけじゃないとも思ってる。

一瞬、考えてしまう。
フランチャイズ元に文句言ってやろうかと。
私はこういう場面で冷静に陳述するから、「勝てる」自信は正直ある。

しかし臭いヤツが「オーナー」だから、働いてる彼女たちに迷惑が及ばないだろうかと。

そんなのほっときゃいいじゃん、そもそも買い忘れる私が悪いんじゃん?
って思ったら、すっこんじゃうだよね私は。

まぁでも。
そもそも、よそさまに口出しするより先に、自分の事を助けたい。
ほんとは、今はそれが一番やりたい事。

それと同時に、世の中や他人事に怒り続けてる自分にも必ずワケがあるのだ、とも思う。

だから今は、そんな矛盾しまくりの自分にも共感して、なにかを見つけたいと思ってます。
(これってショック療法なのかな。内輪ネタすんませんw)

2015年7月10日金曜日

遊び心とクリエイティビティ


最近、近所の中学生男子がおもしろい遊びをしています。
片手に持っているのは野球のグローブなんだけど、それでテニスをしているの。
グローブをラケットがわりにしてテニスボールを打ち合っているんですね。

大体同じ時間帯に同じ場所でやっているのでよく出くわすんですけど、
私、彼らを見るたびニヤニヤしちゃって。
なんかアホな事やってるなぁ(笑)みたいな感じで、彼らにはちょっと失礼なのですが。

しかし本日。図らずも私も一瞬、乱入することができました!

テニスボールが私目掛けて飛んできた。

私は持っていた傘で「よしきた!バッチコイ!」とばかりに打ち返す…つもりが情けなくも空振り。
しかしこれまた図らずも、彼らからお礼の言葉をかけられてしまいました。
私の健闘を称えてくれたかのようです。
あぁ。なんと優しく紳士なのでしょうか!
(あのときはボールとれなくてごめんね。)


ちょうど自分にとってここ数日のテーマとして、
「遊び」というものがありました。

このニュアンスにも色々あって、ネジや部品のゆるみを指すのか、いわゆる娯楽やバケーションの事なのか。
それら全てであったとしても、一度にかたっぱしから「遊んで」いくことは、現実問題として正直難しい。
じゃあ自分にとっての優先順位はどのへんなのか…という疑問があって。

この出来事で不思議と納得しました。
きっと、童心にかえるような「イタズラ心」を指すのだと。

周りの友人たちの志向する「遊び」が、なんかね、こう、イメージ的には贅沢を楽しむ方向になっていて。
私も、贅沢とか上質とか大好きです。
でも…なんだか満たされないというか、物足りない。

今の私が欲しいのは、こどものような遊び心。
くだらんことに大笑いしちゃうような、そんなシンプルな事だった。

だけど、これって実は物凄くクリエイティブな事だよね。

元々みんなこどもの頃には持っていた、原点すぎるものなのに、今や逆にゼータク、みたいなこの現象!!!

ふはぁ~。ため息出ますわ~。
不覚にも笑えてきたよ…(*^_^*)

2015年7月3日金曜日

「預言カフェ」に行ってきました


豪雨だったり急に止んだり。気まぐれな雨模様のなか、今日は(一部で?)話題の「預言カフェ(高田馬場)」に行ってきました。

開店は14時~にもかかわらず、訪問のタイミングによってはかなり待つため
12時からウェイティングリストに記名できるようになっています。
(友だちが早くに記名してくれたおかげで開店直後の入店となりました。Yちゃん、多謝!!)

基本、コーヒー専門店ですから、種類豊富なコーヒーがほんとうに美味しい!
まぁでも、行列してでも行きたいお目当てはやっぱり「預言」で。
複数名のスタッフさんが、訪問客一人あたり約3分間の預言を伝えてくれます(もちろん、辞退も可能です)。

私は不覚にも、その内容に涙がこぼれてしまって…

や~、「預言」は噂通りの早口でしてね、
ざっと計算したところ3分間で1,200字超のボリュームでした。

以下、スマホの録音からそのまま書き起こした内容(原文ママ)です。
たいへん長文となりますが(原則改変NGのため)、
預言内容にご興味ありましたら、おつきあい下さい。

★★★

主が言われます、愛する我が娘よ、

私はあなたを喜んでいます、あなたは周りから愛される、ほんとにその、花のような存在です、と主が言われます、
あなたが居ることで、周りの人が励まされている、あなたの笑顔で周りの人が癒されていますよ、と主が言われます、

あなたが、いつもいつも、その周りの人を喜ばせようとしてきた、なにかその、周りの期待に応えようとしてきた、
時にはあなた自身を差し置いて、そのことに、こう、道を合わせようとしてきた、私はあなたの頑張りを喜んでいます、と主が言われます、

なにか多くの人の中にいて、なにかこう周りがどんどん動いて進んでいっているのに、自分だけが残されているような、そういう思いもあったかもしれない、
だけれども私はあなたのペースで、そして私のペースで、二人でそのまわりに進んでいくように、これから二人だけの道を用意していく、と主が言われます、
その中においてあなたが、私の中でどのようなものであるのか、ますます知ってゆく事になるでしょう、と主が言われます、

表現をする事をなにか恐れてはいけません、表現する事が自分にはできないと思ってはいけないと、主が言われます、

あなたはできます、あなたが伸ばした手を私はしっかりと掴み、そしてあなたが描こうとしているものを私は共に描いて行こう、と主が言われます、

なにかその、見るものに対して、美しいと思えたり、なにか悲しいものを見て悲しいと思うそのあなたの感受性は、私が与えたものですよ、と主が言われます、

だから心配しないで、あなたの感情は私が与えたものだから、それをなにかこう、否定しすぎてはいけないと主が言われます、

自分に対して肯定的に見ることができる、つまり私の目線であなたを見ることができるようになっていきますよ、と主が言われます、

その時にあなたは、いかに自分が価値あるものか、いかに自分が他には持っていないものを持った、あわせ持っている、本当に美しい創造物であるかという事に気付くでしょうと主が言われます、

もう なにかもう、探すのも諦めようと思っていた、その事を私はあなたに対してあなたが期待するよりはるかに大きい形であなたに与えていきますと主が言われます、

夢を取り返します、あなたが諦めてしまった、あなたが まぁ、一時中断してしまった夢を、私は新たな形であなたに送り返すと主が言われます、

大丈夫、私が共に居るから、一人で泣くのではなく、私が共にその夢を描いていくから、だから安心して下さい、と主が言われます、

あなたが、今、踏み出すその一歩は、決して小さくない、大きな大きな一歩になりましたと、主が言われます、

あなたは喜べる者ですよ、たとえ状況が、なんかこう、目に見える状況が上手く行かない時でも、あなたは心の底から喜ぶことができる娘です、
勇敢な勇士ですよと主が言われます、

私はあなたが最前線で闘っていることを知っています、でもその前で私が戦おうと主が言われます、

私はあなたをいつまでもいつまでも、愛情で包みます、
なにかその、あなたの周りに油を張って、なにかこう問題自体があなたを通り抜けていくように、私はあなたを守ってゆくと主が言われます、

ですから我が娘よ、これからあなた自身がどんなに強い者であるかを知ってびっくりするでしょう、
それが私からの宝物で、贈り物ですよと主が言われます、

私はあなたを自分の瞳の中に入れても痛くないほど愛している、そして私はこれからもあなたを愛し続けると主が言われます、

私はあなたを励ましていきます、いつまでも導いていくと主が言われます。

★★★

なんだか今週は泣いてばかりです…。
ですが、たまにはいいものです。
不思議と悪い気分ではありません(*^_^*)

最後まで読んで下さってありがとう。

2015年7月2日木曜日

ぼや記


意外と、夜にセールスって来るんだねぇ。
家の照明が確認できるから在宅バレバレなんだけど、
私は居留守を決め込むんだ。
だってこっちはアンタに用事ないもの。

しかし、玄関をドンドン叩くのほんとやめてほしいんですけど。
おまけにピンポンピンポンうるさいし失礼ですよ。
説教するためだけに応答したくなる自分に歯止めをかけつつ、
あぁ、最近なんだか怒りが出やすくなっているなぁ…と思う。


感情を麻痺させていると、ネガティブなものもポジティブなものも平たく一律に感じづらくなる。

逆に、

感情にOKを出していると、怒りも喜びも分かりやすくなってくる。

どちらが良いのか悪いのか、というのはきっと人間社会が勝手に定義し始めた事で、
いわゆるネガティブな感情から人間が誤作動するケースが多いから、
「ネガティブは悪よね」との共通認識が出来上がっちゃったような気がするけど、
感情そのものは、本当はどっちでも「アリ」なんだと思う。

それらの感情を一人一人がどう運用するかが実際のところモンダイであって、
どんな感情であっても必ず、それがうまれた理由がちゃんとあるはずだ、と思う。

その理由も聴かず頭ごなしに否定する事を、
「自分を助けたい」と願っておきながら
私は自分自身にやってきたのだと思う。