2015年8月19日水曜日

自分と向き合った先にある解放

皆様、いかがお過ごしですか。
サイン3連発がありましてね、ちょっとびっくりして。
たまたま買い物をしたコーヒー屋さんが「TERA」で、別の場所でふと見かけた看板が「スタジオ テラ」、この日初めてお会いした方も「寺田さん」。
キーワード「てら」。これが1時間くらいの間に続いたので、鈍い私でもさすがに気づいたんですが、意味するところがちょっと分からないんですね。単位のテラか、地球のTerraか、寺に行けという事なのか。
なので、もっと私に分かるように教えて、と”上の方々”にリクエスト中です。
あっ、こういう時にキレても大丈夫ですよ。わかんねーよ、分かりやすく言いやがれ!とかね。それでバチが当たるとかありませんからね。

何かのサインとかお知らせがもっとズバーンと来ればいいのに、とは常々思っているのですが、それだけ見逃してしまいそうな程に、変化というのもまた自然な事なのかもしれません。
自分にとってのテーマの移り変わりどきも、はっきり分かるとは限らない。むしろ後から「そういえば、あの頃から何か変わった感じだなぁ」と気づく事が多いように思います。

”自分を癒す”ということを考える時に、私にとって避けて通れない最重要テーマが「家族への思いを癒すこと」だったのですが、ここへきて心の平和が訪れています(今は別のテーマについてやっとります)。
「赦す」なんて尊いものではなく、ただ気にならなくなった、そこに囚われなくなったというだけの話ではあるけれど
感情に向き合い、膿み出しがすすんだおかげで「家族にも愛されなかった、不幸な私」という認識を、自然にずいぶん切り離せたと思います。
これからも揺り戻しはあるかもしれないし、昔の恨みつらみがひょっこり顔をだすこともあるだろうけど
もし、この平穏が得られると最初からわかっていたら、”鉄板の蓋はがし”もそんなには恐くなかったかもしれません。

この鉄板で蓋をした中身にしたって、元はと言えば見るのも辛すぎてフタをしちゃったわけですから、いかに自分をレスキューするためとは言え、そこを見るのはやっぱりしんどい。時が経ってもしんどい。
だから、自分と向き合う作業は楽しいばかりとも言えず、時間もかかると思います(これについてはかける「べき」だと強く言いたい)。
その途中には痛い記憶や感情も出てきちゃったりして、のたうちまわっちゃったりして。
でも、そうした未処理の感情を感じつくして出しつくしたその報酬は・・・解放される、揺らがない自分軸ができる、といったところでしょうか。
・・・うーん。なんだかなぁ、地味なごほうび、って感じはしますね(汗)

いずれにしても、「自分と向き合う」。これだけでもう、立派なセラピーなんですよ。
すぐに人生が上手くいくような華麗な魔法とは言えないですが、少なくとも自分に対する理解が深まるというメリットはあります。
まぁでもやっぱり、地味よねぇ。もうちょっと、キラキラ感が欲しいよねぇ。やる気でないもん、正直(笑)

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