2015年7月24日金曜日

辛い時でも自分で自分を救う覚悟


実家に行ってきました。ほわぁ~ふ(深いタメイキ)
いやマジで私にとっちゃあ避けるべき鬼門なんで。
実際にわりと距離おいてるから
ハタからさんざん親不孝よばわりされとるんだけども
何がしんどいかって、今でこそ生命は取られないものの魂を取られる、みたいな感じなんだよね。

元々は過去にも色々あるんだけど、詳しくは言いたくないから、書かない。

「じゃあ絶縁すればいいじゃん」とかすぱーんと言われちゃったら、それはそうだね。うーん。返事に困ってしまうなぁ。

そこはまぁ、ちと脇に置かせてもらって
精神的に…であれば「自分で自分をけっこう救えるかも」という話。

背水の陣でも四面楚歌でも。
どうあがいても味方がいない状況であったとしても。

「自分を守る・助ける」意識を持つこと。
それだけでも、ラクになれると思う、本当に。

これは私がいまお世話になっているみちよさんの講座でも、折に触れて言われている事でもある。

みちよ師、曰く。
『自分で自分を助けてあげる』
『自分とパートナーシップを組む』
『自分を徹底的に助けてあげる』

いいでしょ(*^_^*)いい言葉だよね。

うんうん、やるよー!と思いながらも、これらを自分の現実には決して上手には適用できていなかった私。

「できていない」というよりも、この身をもっての体感がなかった。
やってる「つもり」ではラクにもなれず
しかし、体感なしには納得ができない。

意識としては、いつでも自分を助けるよー!なんて思っていたつもりだったけれど
いざ過剰な煩わしさや理不尽の嵐に直面すると、自分のクセ(=繰り返しているパターン)が出てしまう。

こういう時に私は、感情をすっかり麻痺させて
人間の振りをしたロボットのように
粛々と済ませるほうが正直ラクだったりする。

しかし、感情のシャットダウンとは自分の魂を殺すこと。

そうして物理的には周囲の役に立てるかもしれないけれど、
それは自分とそのエネルギーを明け渡して「犠牲者」になるのとほとんど表裏一体の、危険性も包含する。
なにより「自分を助ける」事からはかけ離れてしまう。

エネルギーを取りっぱぐれてしまったら、どうなるか。
大抵は他人から奪おうとしてしまう。

エネルギーの奪取がもしも、あからさまにアホなやり方なら自然淘汰される部分もあるけど、
相手が社会的に権威者とか、「悪気はない」一点張りとか、無意識あるいは狡猾で巧妙だと、非常に苦しい。喧嘩すらしづらい。

どうしたもんかね。
まぁ、いきなり全てにNOをつきつけるのも上手くないから、やるこたぁやってやるよ、と。

それでも、「あぁ、イヤだわクソムカツクわ。でも、これが済んだら私は○○してやるんだ」って考えるだけで、本当に本当に、救われる。

○○の中身はなんでもいい。
ほんとに、「インスタントコーヒーで一息入れるわ」だけでいい。
自分をホッとさせよう、なにか一瞬だけでも楽しもうと思えるだけで、全く同じ日常が救われる、ラクになる。

問題は、そもそもそんなふうに考えられなくなっちゃってる、ってことだよね。

ここんとこは、けっこう根深いかも。
長くなりそうだから、またあらためて。

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