2015年7月28日火曜日

トラブルシューティング人生

Amazonのメールが来ない。届くべきメールが来ない。
Amazonちゃんは送信してくれているのに、どういうわけか受信ができない。
特に何かの設定をいじったわけでもないし、自分で諸設定を確認しても問題ないし
Amazonちゃんにも通信会社にも直接それぞれ2、3回問い合わせしたし。
おまけにその場で再送信もしてもらったのにメール来ない。
不思議な事もあるもんだなぁ。
結局、あれこれやってもやっぱりメール来ないから放っておくことにしたけれど。

うっかり、こんなしょぼいトラブルシューティングに燃えてしまった。躍起になってどうにか解決しようとした。
そして、そんな自分に気づいて愕然とした。
「トラブルシューティング」。私の生き方そのものではないか。
問題は自分で全部解決しなきゃ。不都合があってもリカバリできる自分にならなきゃ。
いや、それ以前に不都合が生じないように対策を講じておこう・・・といった具合に。

なんだか悲しくなった。
大事なことではあるけれど、人生においてこんな事ばかりしていたら不毛だよ?
「喜び」に生きるどころじゃあない。だって、注目してエネルギーを注いでいるのが「問題」ばかりなんだもの。
そして、無意識に「問題がある」前提で生きているから、現実に起こるのもまた「残念な引き寄せ」だったりして。

うわぁ、バカバカしいわやってらんないわ、だからこんなパターンやめてやるわ。私は自分を救うんだから・・・と思うものの、
心のどこかで引き戻されてしまう。
私のエゴちゃんが言う。
『そんな簡単に手放せるワケないでしょ。大体、誰のせいでそんなパターンを身につけたと思うの?誰も守ってくれなかったからでしょ?
あいつらは善人ヅラして今日も安穏と生きてるよ?悔しくないの?ここでやめたら今までの努力がムダになるんだよ?だからやめちゃダメなのよ!』

それはそうだ。エゴちゃんの言うことにも一理ある。過去の自分はたしかに可哀想だった。
でもなぁ。もう、「可哀想な私」を引きずって生きていたくないんだよ。今とこれからにフォーカスして、人生をつくっていきたいんだ。
可哀想だった過去の私ときみのことを「なかったこと」にするわけではないから、エゴちゃんよ、大目にみてくれないか。  


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